みんぱくで見世物

 
Misemono
●[特別展]見世物大博覧会
 大阪展 2016年09月08日〜11月29日 国立民族学博物館
 千葉展 2017年01月17日~03月20日 国立歴史民俗博物館
 
 “見世物”という言葉を聞いてわたしがイメージするのは、「親の因果が子に報い…可哀相なはこの子でござい」という口上に代表されるような世界だ。いかがわしく、どこか淫靡で、明暗で言えば暗い方。どちらかというとネガティブ方向のイメージである。
 もっとも、子ども時代に、そんな口上が流れる見世物小屋に連れて行ってもらった記憶はまるでない。映画はともかくも、わたしの家は寄席や芝居などには縁がなかった。一度だけ、家族でサーカスに行ったことがあるが、せいぜいその程度だ。「親の因果」などといったセリフは、だからテレビでみた落語あたりで覚えたのだろうと思う。
 
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 みんぱくの会場は1階と2階のふたつのフロアに分かれている。1階が主に身体芸、2階は人形や海外の珍しい動物など、芸能以外のモノを展示している。
 「見世物」の世界を歴史的に総括するというより、種々雑多な多様性を等価値に俯瞰した展示のしかたは、なるほど民族学的アプローチだと言っていいのかもしれない。実際、それぞれの展示物の解説パネルはごく簡素で、対象を体系的に学習させるのではなく総体として体感してもらおうという編集方針なんだろうと思った。
 なので、神事的な意味合いをもつであろう神楽や田楽と、一定以上の年齢の方には懐かしい「人間ポンプ」が同等に扱われているし、菊人形やからくり人形と、お化け屋敷の口裂け女のマネキンが一緒に並んでいたりもする。それぞれの関係性や歴史性には触れず、いずれも同価値として同じ会場内にある。そういう展示だった。

 
 ところで、見世物芸というとわたしがまっさきに参照するのは小沢昭一さんの著作群だ。どの本でもいいが、ためしに手元の一冊のページをめくると、たとえばこういう一文がある。

「他に何も出来ないものが、芸が出来たから今日まで生きてこられた」という。しかしこの、人間の肉体の可能性をひろげる軽業芸、失敗したら手足を折るか首を折るか、文字通り命をかけるこの芸に対して、日本の観衆は決して高い評価と賞讃を与えて来たわけではない。サーカス暮しといえば、すぐうら淋しいという言葉が続くように、この日本では、小屋の芸は、一段も二段も世間から低く見られて来たのである。芸に貴賤のあろう筈もないのに、蔑視の根は実に深い。それはしかし、ついこの間まで厳然としてわれわれ芸能民に対してあった社会的差別が、しわ寄せされてまだ残っていたからなのである。(小沢昭一『私のための芸能野史』ちくま文庫p.57/原著は1973年刊)

 小沢が老齢の足芸師を取材した際に書いた文章である。さて、この当時と比べて、芸能者に対する蔑視の根はいまだ深いままなのか、われわれは彼らの芸を一段も二段も低く見たままなのか。おそらく当時と違うのは、これらの芸が今ではそれこそ「博物館入り」してしまい、ふだん身近に接する機会がほぼなくなってしまった、とは言えるだろう。なので蔑視もなにも、そもそも先入観をもちようがない、とは言えるかもしれない。
 
 「被差別民としての芸能者」という視点は、主に小沢昭一の著作を通じて得た知識だ。冒頭に書いた「どちらかというとネガティブ方向のイメージ」をより強化したのは、わたしの場合は小沢であったのかもしれない。
 「おカネを得るため、生きるための芸能」は、それ以外に生きのびる術を持てない人々の最後の手段だという意味のことを、著作のなかで何度も指摘している小沢だが、彼は同時に「カネを得るための芸にこそ惹かれる」とも言っている。それは、農業や漁業あるいは製造業といった、生産性が一目でわかる他の職業と、生産性などどこにもないように見える芸能が「カネになる」点で等価値となり、また「カネ」を介して世間一般の社会と密接に結びつくようになる、という意味でもあるだろう。したがって、小沢の書く文章はどれも本質的に開放的で、明るいのだ。
 
 
 すべての展示物をフラットに紹介してゆく本展には、小沢の言う社会的差別などの「ネガティブなイメージ」は極力出さないようにしている。しかし、その中で異彩を放つものがあるとすれば、最後に置かれた寺山修司の展示だろうか。
 1960年代後半から70年代にかけての寺山の仕事、それも主に「天井桟敷」の舞台作品をいくつかパネル展示で紹介し、そこにかつての「見世物芸」がモチーフとしていくつも扱われていることを示しているものだ。
見世物はサーカスの近代主義によって、ある部分を、包括され、ある部分を切り捨てられた。しかし、その発生はきわめて古く、日常現実の秩序への復讐の歴史、怨念の歴史と共に語られなければならない。(寺山修司『鉛筆のドラキュラ』/展覧会カタログp.178より引用)

 寺山が当時すでに忘れられつつあった「見世物」を自分の演劇に取り入れたのは、高度成長により急激に現代化する都市に対する、まさしく<復讐>であり<怨念>からであったはずだ。小沢が指摘したような芸能者への<蔑視>や<社会的差別>を逆手に取り、それ自体を武器として逆に都市社会を強く撃つ。それが寺山の方法論だった。しかし復讐・怨念と言っても、芸能者それ自身のものではなく、あくまで寺山が演出したものなのであって、それはいま風にいえば「二次創作」みたいなものではなかったか。つまりはここまで観てきたオリジナルの身体芸やからくり細工などとは、寺山の演劇は出自も立場もまったく異なるものなのではないのか。
 
 移りゆく各時代の社会環境下において「見世物芸」がどういう存在だったのか。そういった社会史的視点を(わざと)描いてこなかったはずの本展の最後に、いきなり寺山修司が大きく取り上げられたのはどうしてなんだろう? このコーナーだけがあきらかに異質だと思うのだが、その編集意図がどうにも掴めなくて、実はいま少しばかり戸惑っているところなのである。
 

2016 10 02 [design conscious, living in tradition] | permalink | comment (0) | trackback (0) このエントリーをはてなブックマークに追加


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